安易に管理部の次長になったら上場準備までさせられてるんだがどうしよう

ある日社長に呼び出され、管理部の次長になれと言われて安易に受けたら、いつの間にか上場準備までさせられてるんだが、どうしよう・・・

自分で決断できない人は、誰かが決めた人生を送ることになる、って言われて怖い思いをした

なんか個人的な日記を書いている中で、なんとなく世の中に発信したと思うことが書けたので、こちらに転載します。

 

それでは聞いてください。

タイトルは

「決断するということ」

 

うちの会社ほど、自分のやりたいと思ったことをやることができる会社はない、という話を同僚にした。
 
ただしの条件付きで、

自分がこれをしたいということを明確にしていること

 
この話をしていて、同僚は納得していたけれど、実をいうと、社会の本質かもしれないと思っている。
 
 
誰でもそうだけど、何かのプロになるのって、決断がいると思うのよね。
 
だって、プロになるってことは、ある意味、それ以外のことには興味をもたない(アンテナを張らない)ということと同義だからね。
 
僕(私)はこれしかしません!
それ以外のことは考えもしないし、興味もありません!
 
って、実際に周りに言うのは勇気がいることだよね。
 
ただ、その決断をしないまま、もしくは自分で自分のやりたいこと、やるべきことを明確にできない人は、結局、誰かの人生を送ることになる。
 
誰かの指示・命令でしか動けない。
誰かの考えた通りにしか動けない。
誰かに必要とされなければ何もできない。
 
自分が決断できない分を、誰かに責任転嫁している状態なので、その状態では当然、その誰かが決めたレール(人生)を生きることになってしまう。
 
 
ある意味で、親からの自立も、そうかもしれない。
 
けっこう、これができていない人が多いんじゃないかなと思った。
親の言うことは絶対
親が決めた(望んだ)人生を生きる
 
僕も大学生まではある意味でそのレールに乗っていたような気がする。
 
でも、大学卒業して、ニートになって、親の望んでいることと真逆の方向に行って初めて、そこからの脱却ができたように思う。
 
もちろん、後から思い返すと、親の言うこと素直に聞いておけばよかったかなと思うようなこともあるが、それ以上に自分で自分の人生について決めている感覚の方がよっぽど気持ちよい。
 
 
人生は決断の連続
 
と教わったことがあるが、まさにそうだなと思う。
 
 
でもね・・・
決断するのって簡単じゃないよね。
迷うことも多いよね。
迷っているうちに決断を先延ばしにして、結局そのまま決断しないことって多いよね。
 
しょうがないよね、人間だもの。
 
でも、たいてい決断できた人ってすごいなぁと思うかもしれないけど、彼らと自分の違いって、決断したか、しないかくらいだよ?
 
ちなみに決断ってそんなにすごいことではなくて、誰だって始めは、とりあえずやってみよう、試しにやってみよう程度の決断だよ。
 
誰も100点満点の正解の回答が見つかったから決断をしているのではなくて、51点以上は正解だろうと思ったから決断しているだけだよ。
 
いや、実際はもっと低いかもしれない。
 
そもそも正解なんてない!
やるだけやって、ダメなら元に戻ればいいさ、くらいかもしれない。
 
僕が昔先輩に言われたことは、
 
世の中に正解はない。
自分が選択、決断した道を正解にするのだ
 
と教わった。
なんだよ、自己啓発的だなぁと思うけど、とても大事な考え方だと思う。
 
 
これは、結婚について、僕が一貫して考えていることで、
妻と結婚したことは間違いだったかなと思うこともある。
 
でも間違っていたかどうかなんて、この先もそうかはわからない。
 
だったら、正解だと思えるように自分が努力するだけの話。
努力してダメだったら、それはまぁ、しょうがないね、って話。
 
結婚だけでなく、キャリア、人生についても同じことが言えると思っている。
 
自分はこれがやりたい、こうなりたい、これが得意だ、これが好きだ。
 
全部そのときの感覚でしかない。
 
感覚でしかないから、いくら論理的に考えようとしたって答えなんかでないのよね。
 
答えはやっていく中でしか見つからない。
 
だったら、今すぐ決断して、試しにやってみた方がよくない?